(井上先生の定年退官(2009.3月末日)後における「新現役」としてのご活躍の様子をお知らせするページです)

2011.3.11 東日本大震災が発生しました

2011.3.11 東日本大震災が発生しました

3月11日、岩手、宮城、福島各県を中心に観測記録史上最大の東日本大震災が発生し、東北・関東地方に甚大な被害をもたらしました。大地震、大津波の災害に加えて福島第一原子力発電所の放射能被害も懸念されています。被災にあわれた方々には衷心よりお見舞い申し上げます。

OBの方々には被害はなかったでしょうか。
海外の留学生OBの方々から早速ご心配、お見舞いのメッセージをいただいております。ご紹介いたします。

海外のOBの皆さんから頂いたメッセージです

中国海洋大学 宋 寧而さんから、
先生へ
こんばんは。午後、日本の東北地方で巨大地震と大津波のニュースがNHKで放送されました。生放送を見てかなりの衝撃を受けました。先生と奥様は大丈夫でしたか。
日本の皆様のご無事をお祈りします。
宋 寧而

台湾海洋大学 曾 承志さんから
Dear Prof. Dr. INOUE
There was a huge earthquake in Japan yesterday.
I just worry about you all.
Is everything all right for you.
I wish you all are luck.
Keep in touch.
SOU

大連海事大学 謝 洪彬さんから
井上先生へ:
日本で大地震と津波が発生し、大変な状況にあるとネットで知りました。
東京地方も被害が出たようですか、先生のところは大丈夫ですか?
まずは安全の確認まで。
謝洪彬

上海海事大学 胡 志武さんから
井上先生
研究室の皆様へ
この度、日本の東北地方太平洋沖で巨大な地震が起きました。これにより大津波が発生し、甚大な被害を受けていることに驚いております。 皆様及びご家族の方々の安否をすごく心配しています。ご無事を祈っています。
巨大地震の状況は、信じがたいものです。津波の恐ろしさは想像を絶します。どれだけの人が命を落とされたのか、瀕死の状況なのか、ご家族と離されているのか、本当に言葉もありません。
地震で亡くなられた方に心から哀悼の意と、ご冥福をお祈り申し上げます。多くの行方不明の方のご無事をお祈り申し上げます。
被災された人々が地震による財産の損失と目下の困難をいち早く乗り越え、通常の暮らしにいち早く戻れるよう願っています。
1995年の阪神・淡路大震災のときに日本の国民が見せた勇気と力を私たちは忘れていません。今回も被災された人々が、いち早く正常な暮らしに戻れることを信じています。
近年、中国でも地震災害が相次ぎ、実際に災害を身近に感じるようになり、これまでにも増して、災害へ関心を持つ人が多くなっています。隣国である日本で起きた最大規模の大地震に中国の国民も大きな関心を寄せています。ネットの掲示板やミニブログでは、多くの人は日本と日本の国民へお見舞いや応援のメッセージを書き込んでいます。
「汶四川大地震の時に中国がたくさんの日本人に助けてもらった。今度の日本で発生した地震に対して、中国人として黙って見るのはいけないと思う。」「四川大地震のときに日本は支援してくれた。今回は中国の番だ。」
まだまだ被害も明らかになっていませんし、これからしばらくはいろいろな影響も出そうです。余震も心配されます。どうぞお気をつけください。
胡 志武

韓国海洋大学校 朴 榮守さんから
金曜日から日本のテレビをずっと見ています。心配で夜も眠れないです。
大変なことが起きていてもこのような簡単な言葉で連絡をとるしかありませんが、
是非この時期をうまく乗り越えていただきたく思います。
朴榮守                                                   

<OBの皆さんへ> (井上欣三より)
お見舞いありがとうございました。海外にいても私や私の研究室のことを心配してくれる皆さんのお心づかいに心から感謝し、お礼申し上げます。
歴史上最大規模の地震と津波が発生してしまいました。幸い私には被害はありませんでした。地震当日は、私は東京にいました。東京・虎の門での会議中に強い揺れを経験しました。連続して感じられる大きな地震の揺れとその継続時間が長かったので、かなりの危険を感じました。
早い時刻に行動すれば新幹線で今夜のうちに帰り着くかも、と思って会議場を早く出る決断をしました。広い道を選びつつ新橋までいったところで、都内の交通が完全にストップなのでそのまま、東京駅まで歩きました。
東京駅付近のホテルの前を通り過ぎつつ、ホテルにするか駅まで行くか、迷いましたが、即断、即決、即実行で、だいたい新幹線の運行再開までは4時間とみて、これに賭けて駅で待つ方を選びました。運転再開後の一番列車になるはずの新幹線の自由席の列に並んで待つことにしました。寒かったけれども、案の定4時間と少し待ったところで運転再開。それから、のろのろ運転でおよそ5時間を要して新大阪まで戻ることができました。帰宅できたのは深夜をとっくに過ぎていました。
その後TVで被害の状況をみていると、この世のものとは思えないほど悲惨で、とても人事には思えません。地震や津波で亡くなられた方々に心からご冥福をお祈りし、多くの行方不明の方々のご無事をお祈り申し上げます。
みなさんとは、またいつか元気な顔でお会いできることを心待ちにしております。もう一度、心温まるお見舞いをありがとうございました。
井上欣三

OBルーム